【自己の確立と自己肯定感】

【自己の確立と自己肯定感】

今日は、こんな感じで、とある集まりに参加。

「結婚してます」と言っては驚かれ

「子供がいます」と言っては驚かれ

「子供が25歳と23歳です」と言っては驚かれる。

結婚していることは、私のアイデンティティには不可欠なものではある。

先日、違う集まりに参加した。

女性の自立を議論し合う会(だと私は思った)の中のイベント。

とある女性が、壇上で

「嫁に来た」「主人が…」と発した途端

その会合に県外からお越しの、かなり年配の女性が指摘する。

「なぜ、嫁に来る。主人という言葉を使うのか?」と。

私も、ごく当たり前に使われる『主人』という言葉に常々疑問を持っていた。

主人と使う、その対であるはずの私は一体なんなのか?と。

主人の対義語は??

奴隷か?召使いか?従属物か????

奥様は主人と対ではない。

奥様と旦那様なのである。

他にも、子どもが保育園生だったころ。

近所の友達と遊ぶ。

ごく自然に、子どもの友達は私のことを

『○○ちゃんのお母さん』と呼ぶのである。

私は、一人ひとりに教えた。

「私には、ちゃんと『ゆりこ』という名前がある。あなたも△△さんの子どもって呼ばれるの嫌よね?

だから、私のことも名前で呼んでね」と

それから、子どもたちの友達は、私のことを今でも

ゆりこさん。と呼ぶ。

主人と言ったり、○○ちゃんのママと呼ばれることが当たり前の女性たち。

自分を確立してない状況だと、私は思う。

結婚した途端、当たり前のように夫の苗字を選択する。別姓が良いということではなく、名前が変わるというのは、自己の確立に大きく影響すること。

そしてその後に続く、

主人や○○ちゃんのママ

本来のあなたというものが、いなくなってしまうように思うのだ。

そうすると、自分を肯定することも徐々に出来なくなってしまうようにも思う。

女性が社会進出することで、きちんと名前で呼んでもらう機会も増えたとは思う。

でも、自分から発する言葉で、自分の価値を自分で下げているのではないか?

と、私は思う。


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